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宮司のいい話

No.161

孔子の人生観

孔子は、今から約二千五百五十年前に、中国の魯の国で生まれた、儒教の創始者です。
幼い頃に両親を失い、大変貧乏な生活でしたが、十代のうちから、勤勉さで名を知られるようになり、魯の国の役人となりました。
やがて、儀礼や音楽・算術等の六芸を身につけ、更には、詩や歴史等の学問を勉強していたおかげで、三十代にして、すばらしい教師としての道を歩み始めました。しだいに人柄と能力が認められ、四十代後半から、行政官として勤めました。そして、ついには大臣として大いに政治的手腕をふるったのです。
孔子は、世間に道徳がすっかり衰退してしまっていることを嘆き、世の中を内側から改革しようと、積極的に政治にかかわり、政治を通じて人間的な理想や人格形成の実現を望んでいました。
しかし、国内の有力者や外国からの妨害によって、自分の意見が聞き入れられず、五十六歳の時、大臣を辞めて、自分の理想を実現できる国を求めて国外に去りました。
孔子が独自の理想と改革の情熱をもった人物という評判は徐々に広まり、生涯で三千人の弟子がいたと伝えられています。
しかし、諸国を遊説して回った孔子は、結局政治への希望を失い、十二年後に再び故郷へ帰り、弟子たちの教育に専念し、七十三歳で亡くなりました。
孔子の死後、門弟たちによって、弟子との問答や、孔子の思想を収録した「論語」が編集されました。
「論語」の中に、孔子自身の人生を振り返った、人生観ともいえる有名な一説があります。
「吾、十五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲する所に従えども、のりをこえず。」という言葉です。
この、十五歳の時に学問に志したとは、いろはを学ぶのではなく、自分の求める分野の専門的な勉強を始めたことを意味します。
三十歳にして立つとは、自分の精神の立場を確立したことです。
四十歳にして惑わずとは、悟りが開け、人生に対しての疑いをいだかなくなったことです。
五十歳にして天命を知るとは、自分の生涯における使命を見極めたことです。
六十歳にして耳順うとは、修行がますます進み、聞くところ理屈に合えば、何の障害もなく理解し、他人の言葉を自然に受け入れることができるようになったことを意味します。
七十歳にして、心の欲する所に従えどものりをこえずとは、自分の思うことすべてが、真理にかない、思うがままの行いをとっても自然の法則から外れることのない、悟りの究極を体得したことを意味します。
江戸時代の都々逸に、「割って見せたや私の心、割れば色気と欲ばかり」というのがあります。人間の心にはいつも色気と欲が先行しているのではないでしょうか。目先の私欲に振り回されるドロドロとした心ではなく、自分の欲望をしぼませて、サラサラとした清々しい心になれるようにしたいものです。
孔子のように、順調に精神的な進歩をとげることは難しいことですが、人生の精神的成長の目安として努めていきたいものです。
そして、せめて一生を終える頃には、欲に心が支配されず、悟りの境地を目指す心となっていたいものです。
あの世には決して、地位も・名誉も・財産も持って行けません。持って行けるのは自分の心だけです。
いつ自分の欲を吹っ切れるかが大きな課題です。悟りの心になることは難しいけれど、せめて悟りを目指す心でありたいものですね。
そして、悟りを目指す心を、あの世へのおみやげとして持って行くことができたならば、きっと霊界に行っても迷うことはないと信じます。

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