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札幌八幡宮について

札幌八幡宮は昭和52年6月、先代菊池重武大教正長老によって建立されました。

菊池家は代々神職の家系で、その歴史は初代菊池伊知女から350年余りにわたります。
菊池伊知女は函館八幡宮に奉職、その後宮司となり、11代菊池出雲守重賢の代まで続きました。

明治新政府は、「王政復古・祭政一致」の方針により、仏教や神社神道、諸派神道を統一する「大教宣布の詔」を発しました。

更に新政府は神社の社家による世襲を認めず、函館八幡宮11代宮司菊池出雲守重賢は札幌神社(現北海道神宮)の2代目宮司となりました。

明治15年菊池重賢は、札幌神社宮司を辞し、札幌中央区南5西4(現ススキノラフィラ近く)に金刀比羅教会を建立し、崇敬者の心のよりどころとしたのです。

ところが、金刀比羅教会の土地は借地だったため、13代目の重雄の時代に転居を余儀なくされ、14代目の重武が北広島市輪厚に、札幌八幡宮を建立しました。
現在は、菊池重敏が2代目宮司として奉職しています。

明治2年東久世道禧伯爵から賜はりし懐紙入

建立当時の本殿の写真

当時の様子

菊池家系譜

渡道前

二十六代 菊池四郎吉宗(惣代夫六世祖)

従四位下、肥後守護職、天文十九年
大友義鎮の天文の乱に敗れ、肥後を脱して南部より蝦夷の内浦岳に移る。

渡道後

先代 巫女菊池伊知女いち

慶安年間函館八幡宮奉職

四代 菊池惣太夫重綏しげやす

寛保三年帰幽九十五歳

五代 菊池厳城重秀いわきしげひで

天明元年帰幽

六代 菊池出雲守重春いずものかみしげはる

天明・天保年間の大飢饉、米騒動、百姓一揆に当り、
之を救済せんと惟神の道を説く。
天明四年帰幽八十三歳

四代 菊池惣太夫重綏

六代 菊池出雲守重春

七代 菊池出雲正重仲

八代 菊池堅磐輔重泰

七代 菊池出雲正重仲いずものしょうしげなか

北海道の文化の普及と学問の向上をはかって、京都在住の大仏師 西田幸助師に菅原道真公の御神像製作を依頼し、文化二年(1805年)より奉斎する。
文政八年帰幽六十八歳

八代 菊池堅磐輔重泰かたしはのすけしげやす

文政十一年帰幽三十七歳

九代 菊池出雲正重章しげあき

法令大神主号拝命
嘉永三年帰幽三十二歳

十代 菊池會能その

重泰の妻
安政三年帰幽六十一歳

九代 菊池出雲正重章

十代 菊池會能

十一代 菊池出雲守重賢

十一代 菊池出雲守重賢いずものかみしげかた

従五位下、法令大神主号拝命、文久二年秋葉大権現の御神体を賜はる。開拓農民の飢饉、疫病を防ぐため力を尽くす。当時国際情勢緊迫の折柄、尊皇を説き、函館戦争には勤皇隊のかげに回り島民のために尽力。
札幌神社(現北海道神宮)二代宮司に就任、明治十五年札幌神社を辞し、教導職となり、神道布教に活躍。
明治三十三年帰幽七十歳

十二代 菊池重豫しげよ

函館八幡宮禰宜
昭和十八年帰幽

十三代 菊池重雄しげかつ

権大教正、札幌中央区南五西四に於ける金刀比羅教会に活躍
昭和二十八年帰幽八十歳

十二代 菊池重豫

十三代 菊池重雄

十四代 菊池重武

十五代 菊池重勝

十四代 菊池重武しげたけ

大教正長老、札幌市中央区南五西十一の宗教道場にありて、
布教に専念。
祖父の遺業を復興せんと北広島輪厚の里に札幌八幡宮を建立。
昭和五十八年帰幽七十一歳

十五代 菊池重勝しげかつ

北海道神宮 禰宜 二級上
平成十年帰幽五十四歳

十六代 菊池重敏しげとし

札幌八幡宮 二代目宮司
神道大教 第13代管長

神道大教 第13代管長を務めています。
御祭祀350年の由緒ある札幌八幡宮の御祭神に是非ご参拝ください。

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