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宮司のいい話

No.224

重んずれば重くなり、軽んずれば軽くなる

 「重んずれば重くなり、軽んずれば軽くなる」という言葉があります。
 物を大切に扱っていれば、周囲にも大事な存在と認識されますが、ぞんざいな気持ちで扱っていたら、周囲にも同じように扱われてしまうという意味です。
 例えば、おじいさんが趣味の盆栽を大切にしていたとします。宝物のように大事に育てていたら、家族にも、その盆栽はおじいさんにとっての宝物だという気持ちがわいてきますから、ほこりまみれになるような場所には置かず、盆栽の周りはきれいに整えておこうという気持ちになるでしょう。盆栽は、家族の中で一つの存在感を持つようになるのです。
 一方、その盆栽とは別に、いただいた鉢植えがあったとします。
 いただき物だし、趣味で手を掛けているわけではないからと、おじいさんがその鉢植えを放置していたら、家族もその鉢植えがそれほど重要とは思わないでしょう。そうすると、誰にも手入れをされず、だんだんと弱って枯れてしまうかもしれませんし、ほこりにまみれて、ゴミの中に埋もれてしまうかもしれません。そこにあったことさえ忘れられてしまう存在になってしまうでしょう。
 誰かが大切に扱っていると、大切な物だという気持ちが周囲にも生まれてきますし、放置しておけば、周囲にとってもどうでもいい物という存在になってしまうのです。
 これが「重んずれば重くなり、軽んずれば軽くなる」ということです。
 物に限らず、仕事でも同じことが言えるでしょう。
 例えば、ある仕事を一所懸命やっていたとします。あなたが一所懸命やっていたら、あなたでなければできないとか、あなたに聞けばなんでもわかるとか、困ったらあなたに聞けばいいと思われるような存在感があなたに生まれてくるのです。
 一方、あなたが適当に取り組んでいたら、いつまでたっても誰にでもできる仕事しかあなたはできません。さらには、誰にでもできるような仕事なら、あなたがいなくても支障はないので、あなたは必要な存在にはなり得ないのです。
 つまり、一所懸命に取り組んでいたら、その仕事について最高の存在になり得るし、適当に取り組んでいたら、どうでもいい存在になってしまうのです。
 「一隅を照らす」という言葉があります。一隅とは物事の隅のことです。一つの物事を一所懸命やることによって、そのことに関してはこの人でなければだめだ、という評価が生まれてくるということを表しています。すべての物事を極めることはできなくても、一つのことに対してはプロフェッショナルとして誰にも負けないという誇りを持って取り組むと、周りからも、この人なら間違いない、安心だ、という評価が得られ、信頼感が生まれてくるのです。これこそが「一隅を照らす」存在です。
 どんな仕事であっても謙虚に真剣に取り組むと、人から認められて大切な存在になっていきます。その場限りのいい加減な仕事をしている人は、「一隅を照らす存在」にはなり得ないのです。ですから、仕事もまた、「重んずれば重くなり、軽んずれば軽くなる」のです。
 中国の孔子の言葉に「巧言令色鮮し仁(こうげんれいしょくすくなしじん)」があります。
 言葉でうまく飾って表情をとりつくろっているような人は、案外思いやりの心が欠けていることが多いという意味です。うまいことを言ったり、自分をよく見せようとしている人は、心の中は乏しかったりするものです。
 言葉は大切に、重々しく使わなければいけません。言葉は人間性につながり、重々しく受け取られるようになっていきます。逆にペラペラしゃべっていると、失言したり、大げさなことを言ったり、嘘をついてしまうこともあります。軽々しくしゃべる人は、人間性も軽く見られてしまうのです。
 ですから、言葉も「重んずれば重くなり、軽んずれば軽くなる」のです。
 世の中には、不必要なものは何一つありません。どんな仕事でも、あるいはどんな人でも「重んずれば重くなり、軽んずれば軽くなる」のです。
 仕事も、自分自身も、重くなるか軽くなるかは、あなた次第です。 
 一つ一つを大切に取り組めるよう心がけましょう。

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