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宮司のいい話

No.204

天徳・地恩・清浄・光明

天徳(てんとく)・地恩(ちおん)・清浄(しょうじょう)・光明(こうみょう)とは、札幌八幡宮の本部であります、神道大教の宗教上の教えで、四大信条といいます。つまり、天徳は宇宙観を現し、地恩は世界観を現し、清浄は人生観を現し、光明は処世観を現しています。宇宙の真理を見事に説き明かしたものです。


天徳とは宇宙の有り様を説明したものです。まず天体の現象を見ますと、宇宙は果てしなく広く、限りない空間で、始めもなければ終わりもありません。一時も休むことなく、乱れることもなく、規則正しい秩序をもって、あらゆるものが統一と、緊密な関係をもって、一つの形態を成し、大活動を繰り広げています。
大宇宙の実際の有り様を見ますと、太陽や月や星は、天上に高く輝いて地球を照らしています。そして、春夏秋冬の季節を分け、昼夜を現し、太陽からもたらされる光と熱は、一切の地球上の生物の活動の基本をなしています。これは、まさに神道の根元神である天御中主神の無限なる御神徳によって、宇宙現象のすべてを導き治めて、統制されているからです。神道では、宇宙現象のすべてを天御中主神の御神徳と考えます。
ですから、天御中主神の御神徳は、宇宙そのものであり、時間空間を超越し、過去、現在、未来にわたる永遠の存在であり、宇宙の根本生命であり、すべての現象の中心生命なのです。
そしてその御神徳は、完全にして円満であり、純真にして汚れなく、すべての自然現象を治めて、天下を太平に導いてくださいます。
また、人類の生活においての御神徳は、良い行いには必ず良い報いがあるように、悪いことをすれば必ず悪い報いがあるように、道徳的行為の規準となり、或いは人の行うべき正しき心となり、或いは仏教の説く慈悲の心となり、或いはキリスト教の説く愛の心となり、或いは神道の説く誠の心となって人々の心を導き治めてくださいます。
更に、天御中主神の御神徳は、宇宙における一切の創造進化の原動力であり、人類生活における一切の向上進歩の永遠なる生命力なのです。
このように、大宇宙の規則正しい営みや、人間生活における万物の移り変わる現象は、すべて天御中主神のお計らいですので、自然の摂理に生かされている我々は、天御中主神の御神徳すなわち天徳に感謝し、宇宙の真理、大自然の真理を知ることが「天徳」の条で学ぶところです。



宇宙の大法則として現れた天御中主神の御神徳は、陰と陽の二元に分かれ、その御神徳は高皇産霊神、神皇産霊神として活動されています。更にこの二柱のムスビの神は、別々な働きをして一切の自然現象や事物を生じさせ、その御神徳はさまざまな現象をつかさどる自然神となって現われています。
すなわち、地上においては山川草木を始め、一切の生物を生み出し、食物をつかさどる神となっては、五穀を豊作にして生物を養い育てます。そのため動物と植物の関係は、密接にして離れられない共存共栄の生活を営むこととなります。
人類も又、天御中主神の分け御霊をいただき、二柱のムスビの神の御神徳によってこの地上に生まれ出たものでありますし、その肉体は食物の神の生み出される五穀によって養われ、身にまとう衣服や住むべき家屋も、これまた食物の神を始め、あらゆる自然の現象や事物をつかさどられる神々の生み出し、育てられる御恵のお陰なのです。
さらに我々人類は、国家・社会・家庭の恩恵を受けながら、共存共栄の生活を営むものです。
ですから、「生霊」は生む霊力であり、一つの物が結び付いて強い霊力を発揮するところの、結び付く意味合いのムスビであり、又、ムツミとなって睦まじき和となるものです。
このように、この世に現れ出るすべての現象・事物は、陰陽のムスビの二柱の神の活動によって生まれ出たものですので、自然と陰陽の分かれが生じます。
これは、この世においてすべての人や動物が潤い、豊かさをなすゆえんであります。しかしながらこの世においては、相対するものがあったり、限界があったりすると、一方ではにらみ合い、ぶつかり合い、迷ったり、争ったりして、弱肉強食の生存競争が行われます。
これは実に憎むべき、避けるべきに感じられる現象ですが、これがあるからこそ、人類の文化は進歩し、向上するのです。
ですから、生存競争と共存共栄とは矛盾し、相いれないようにも見えますが、自然と調和が取れ、動物と植物とは均等に存在し、人類社会の一切のものは、発展していくのです。
これは正にムスビの神として、矛盾、対立する世界を統率される天御中主神の御神徳によるものです。
つまり、一切の宇宙に存在するものの活動は、一柱の天御中主神より出て、二柱の陰陽のムスビの神に分化し、更にその御神徳が万神に分化しても、最終的には元の一柱の天御中主神の働きなのです。
言い換えれば、神は一神にして万神、万神にして一神なのです。
このように、世界の現象はすべて大自然の法則である、天御中主神の御神徳の現れです。その大きな御恵の中に生かさせて戴いていることに感謝の心を持つことが「地恩」の条で学ぶところです。


この世の中のすべてのことは皆、陰と陽や裏と表などのように相対するものがあり、限界があり、差別があり、そして時間や空間に制限されています。
我々人類もまた、天御中主神の分け御霊を戴いてこの世に生まれ出たものですが、その生命を宿す肉体は、この世の中に生活して衣食住を必要とするため、得なことと損なことが相反して出てくることが常となっています。
ですから我々は自分の生命を維持するために、自分中心の個人主義とならざるを得ません。そして、この自己中心的行為は、ついには貪欲やあざむきだますことや闘争や殺人等の罪悪を発生させることとなります。
しかしながら我々の魂は、本来完全にして円満なる天御中主神の尊く有り難い御分霊ですので、本質的には真と善と美と聖なる理想を求めて止まないものです。ですから、祓や禊や鎮魂等の修行に精進して、心の迷いによって離れられない執念を取り除けば、完全に整った曇りない神の御心に返ることができるのです。
こうした心をもって我々は自己の有り様を反省して、ひたすら自己本来の心のあり方を、徹底して見極め悟るように、毎日毎日自己修練の努めに励むべきです。
つまり、我々の魂は神から戴いた清らかなものであるので、環境や目先の欲望に左右されず、本来の曇りない心に立ち返るよう、毎日努力していくことが人間本来の努めなのである。と、学ぶことが「清浄」の条で教えられるところです。


自分だけの小さな考えに囚われてしまったり、悟り切れない心の迷いによって、離し切れずにいる執念を取り除けば、自分の魂が本来の神の御心の魂に返ります。そして、神と自分とが一体となった時、宇宙に存在する数限りない一切のものは自分と通じ、自分も又宇宙のすべての存在と通じる世界がめぐってくるのです。
そしてこの世界は無我の世界にして、自分と他とを差別する考えを持たず、矛盾や争い事から抜け出た、生きながらにして神の世界に生きることなのです。憎しみもなく、ねたみもなく、怒りもありません。仮に我が身が不幸や苦労の多い境遇だったとしても、心は常に悦びに満足し、又自分を悪く言う者に対してもその人を愛し、又自分をおろそかにする者に対しても感謝の心がわき出てくるばかりです。
このような生きながらの神の世界は、徹底した感謝の生活であり、自分がすべてにおいて神の心となる素晴らしい世界です。
例えていうならば、物を買う人の心となって物を売り、売る人の心となって物を買うというような、真の世界を発見することです。
このような境地に至ったならば、心の底から湧き出る感謝や感激によって自然と自分自身を尊び敬う世界へと発展していくのです。
身体は心の現れです。我々は常に魂を直く、正しく、清く、明るくして、この地上を楽園として、この世界そのままを神の世界とする神道の教えによって、光り明るい光明世界の建設に精進すべきなのです。
つまり、自分本位の考えや執着する心を取り除けば、無我の世界となり、森羅万象と心通じる世界となり、生きながらにして神の世界に生きることとなるので、常に自分の魂を汚さないようにし、光明の世界を目指して日々精進していくことを教えられているのが「光明」の条で学ぶところです。

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