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宮司のいい話

No.166

特定の心を外せば神心

私たちには関わりあいを持つものがたくさんあります。例えば親とか、妻とか、夫とか、子ども、兄弟、家族、あるいは社会、国などです。
そうした関わりあいをもつ中に、それぞれに義務や務めや責任もでてくるのです。
たとえば、親には孝行をしなければならない。妻には労りを持たなければならない。夫には敬いの心を持たなければならない。子どもはしっかりと守っていかなければならない。兄弟には信頼を持って付き合っていかなければならない。家族は助け合いながら家庭を守っていかなければならない。会社には誠意を持って勤めなくてはならない。社会には思いやりを持たなければならない。国には奉仕をしなければならない。
様々な関わりあいを持って生きていく中で、しなければならないことや義務がたくさん出てくるのです。
私たちは、自分の親だから一所懸命孝行を尽くす。自分の子どもだから自分を犠牲にしてでも子どもを守っていく。自分の家族だから…。自分の○○だから…。ということで一所懸命守ったり、大切にしたりしています。
そこには、自分の物、自分との関係という特定の限定があるわけです。自分に関した特定の限定というものは私欲となってしまいます。
自分の子どもだから。自分の親だからと思う「自分の」という特定の心を切り離すことができたなら、これは素晴らしい人間としての行い、神様の御心となっていくのです。
しかし、悲しいかな我が子だから一所懸命になれますが、よその子どもまではなかなか難しいわけです。
母親というのは、子どもに対して自分を犠牲にしてでも守っていく、育てていく、その愛情はとても強いものがあります。
しかし、その愛情はたいがいは我が子だけにしか向けることができません。この愛情に自分の子どもという「特定の心」を取り除くことができた時、全ての母親の子に対する愛というものは、神に匹敵する心であろうと思います。母親こそが神に近い存在になり得るものだと思います。
世の中には、ボランティア活動などで自分のためにではなく、大勢の人のために一所懸命つくしている人がたくさんいます。そうした人達の心には「自分の」という特定の心が取り除かれていると思います。
誰もが自分の家庭を守り、自分の子どもをしっかり守っているので、神に近い存在になり得るものだと思います。
特定の感情を取り除き、別け隔てなく、周りの全ての人に愛情を注ぐことができたなら、素晴らしい生きながらの神となります。
だんだん年を取りますと、子ども達もそれぞれに独立し、自分の子どもだからという、特定の執着も和らいできます。
特定の存在に注いできた愛情を、広く大勢の人に向けていきましょう。
人のために役立ち、ひとのために力を尽くすことが、我々人間の真の魂の望むところです。
「自分の」という特定の対象ではありましたが、我々は人のために尽くす実績を充分積んできました。あとは、こだわる我欲、執着の心を取り除いて、奉仕の心で大勢の人達に自分の愛情を注ぎましょう。
素晴らしい喜びとなり、心の充実感となって、心の安らぎの生活が訪れてくると思います。
人間とは、誰かのために何かをしてあげたいと思う存在なのですから。

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