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宮司のいい話

No.236

親孝行

親孝行のできない人は自然の道理に生きていない人である。
自然の道理に生きていなければ、自力で頑張れるときは良い時もあるが、人生の長い目で見ると順風に人生は過ごせない。何故ならば、大自然の働きを中心として世の中が動いている中に、波長の合わない状況が続けば必然と不合理が生まれてくるもの。
人生の不合理に出会ったならば先ず、神の波長に合わせること。つまり、自己に生きるのでは無く、他のために生きる道に波長を合わせることである。他のために生きる最大の働きは母親の働きである。
自己を犠牲にして子供を守る博愛の姿である。博愛の姿に感謝できずにいる者は、神の波長に合わせる心にはなれない。
どんなに親に反感を持っていようが、親は子供に尽くしてきたのである。生まれるまでの十月十日と言われる期間、母親はお腹の子供を大切に育て、産みの苦しみを持って出産した。出産の後、子供は自らは何もできない。ただ意思表示に泣くだけである。母親は乳飲み子を抱き、乳を飲ませ、安らぎの中に子供を育てていく、二歳まで子供を育てるのに、授乳とおしめ取り換えで一万回以上の労力が必要である。夜泣きをすればあやし、体調を崩せば医者に診てもらい心配する。「這えば立て立てば歩めの親心」で、父親と一体となって子供の成長を願って来たのである。
誰が親の真似ができるのだろうか。ほとんどの子供が母親の愛情に守られ、授乳期を過ごしてきたのである。母親がいなければ子供は死んでしまっていたのだ。どんなに立派な人でも、自分では何もできない、ただ愛情をひたすら受ける授乳期を過ごしてきているのである。その親の愛情を理解できない、感謝の持てない者に、自然の法則とも言える神の波長を持つことはできないのである。
親は私を嫌っている。私のことなどどうでも良いと思っている。
私は親に愛されていない。等々親への反発と不信を持ち、親から心を離している人もいると思う。
しかし、自分の腹を痛めて子供を産み、昼夜問わずに育児に時間を掛け、成長を願ってきた親が、本当に我が子を憎むであろうか。親との仲違いは、子供が自立していく段階において、親への感謝を忘れ、自我を押し通して来た中に親との仲違いが生じてしまったのではないだろうか。
子供が親の愛情から離れて自立していく。誰もが経験していることである。親と決別して、自力で自立している人もいるだろう。しかし、他の者のために尽くす心を学べば、親の愛情を外して真の感謝の心を学ぶことはできない。
我が子を育てる母親の愛情は神の愛そのものである。親の愛情を認め、受け入れない限り、人としての道の完成は出来ないのである。
親に勘当され、家を飛び出した人もいるでしょう。そして、一人で頑張り成功している人もいるでしょう。
しかし、親に勘当されるいきさつは、子を思う親の心を理解出来ず、自分の主張だけを押し通そうとする子供のエゴとのぶつかり合いによって出来たものであろうと思う。お互いの意地の張り合いによって断絶が今だに続いているならば、子が親の愛情の深さに気付き、自分のわがままを反省し、親に許しを請わなければならない。親の愛情を顧みずして、自分の主張だけを通すのは、人の道、神の道に沿わない考えである。
親孝行は人としての基本である。基本を踏まずして、人としての大成は無い。現在親が生きているならば幸せである。親孝行を実践出来るからである。
「子を持って知る親の思い」自分が親となり子供を育ててみて、はじめて親の恩をつくづく感じるということわざである。「親に似ぬ子はなし」ということわざもある。親のしてきたことは、子供も又、同じような事をするものである。先ず親が気付き改め直すことである。という意味。
人としての道は、親への恩の気付きから始まる。親孝行のしない者に神からの御加護は戴けない。

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